社長経歴

夢・野心はあるか。
ITによるイノベーションに
没頭する覚悟があるか。

代表取締役 社長  松野 公生

私は起業までに、2度転職しました。


【新卒入社―商社時代―】
私が大学を卒業・就職した頃はバブル崩壊後でした。 『就職氷河期』という単語ができたのはその頃かと思います。 自身が就職活動する際、キーワードにしていたのは3つ。
・英語を使った営業
・実力主義(年功序列 ×
・自己成長
これらを基準に就職したのは、商社の営業でした。

ところが入ってみると完全な年功序列、新しい挑戦は許されず、「出る杭は打たれる」という言葉が適当な環境でした。
さらに社内システムはオフコン、操作はテンキー。
会社に戻らなければ見積書すら作成できない非効率さは非常にストレスでした。
この環境だったからこそかもしれません。
段々とシステムに興味を持ち始め、自宅のパソコンにVisual BasicやOracleの評価版を入れて独学でプログラムを組み始めました。

商社は2年で退職し、次の環境にソフトハウスを選択しました。



【中途―未経験入社:ソフトハウス―】
転職キーワードは3つ。
・オープンシステム開発
・未経験者歓迎
・教育研修制度
見つけたのは600人規模のソフトハウスでした。
夢を持って入社してみましたが、労働時間は長い上、給料は安く貯金を切り崩す生活になりました。
しばらく死ぬ気で頑張りましたが、何も状況は変わらなかったです。
月間420時間働いた月、上司にブチ切れたのを今でも覚えています。

当時のOracle Goldを取得した時点で、次を考えました。


【中途ーソフトハウス―】
転職キーワードは3つ。
・データベース事業
・上流工程
・給料アップ
転職先は250人ほどの規模のソフトハウスでした。
希望通りの条件を兼ねそろえた会社ではありました。
上流工程ができ、給料もアップしました。
ですが、あっという間にPMになり、
恐ろしい金額のプロジェクトを任されました。
しかしそれは自社案件ではなく、派遣された先の案件でした。

会社は恐ろしいほどの派遣気質に移行しており、気が付けば社員は1000名超。
社内メンバーの待機者は月200人(自宅待機含む)。
終わりはあっけなく、あっという間に大手に吸収されました。


【フリー活動~起業】
大手に吸収された会社…フリーになることを決心しました。
自身で営業し、仕事をし、報酬をいただく生活は約2年。
将来への不安は大きかったです。
しかし、もう一度就職先を探す気にはなれなかった。
そんな時、起業への背中を押してくれたのは、妻の一言でした。
「自分でやれば」
昔から、いつか起業をする、と思っていましたが、これがきっかけになるとは思いませんでした。

『誰も辞めたいと思わない会社を作る』
をコンセプトにAxiswareを仲間と共に2006年、設立しました。


【現在の会社に思うこと】
会社を仲間とともに設立し早10年…
会社設立コンセプトは実現されているのかと考えます。
離職率は10年平均4.05%
業界平均をだいぶ下回っているけれども、もっと下げる事は出来るのではないか。
会社のビジョンとして、『ITサービス』の企画・提案・開発・展開を実現する新しい形で
エンドユーザーと直接繋がるサービス提供で事業拡大を図り、
社員の挑戦できる環境の整備を強化していきたいと思っています。